東日本大震災
あの日からもう9年…
それともまだ9年…
未だ見つからない家族。
未だ帰る場所のない人々。
誰もがあれ程の地震も津波も来る事を想像してなかったでしょう。
私たち家族は少しでも復興に貢献できればと震災から4年目の夏に震災場所へ訪れました。
そこはかつて賑わっていたであろう町。
そこは変わり果て、どこかの工場へ来たのではないかと思う程のベルトコンベアや鳴り響く重機の音。
道も津波で寸断され
建物も歪み
マンホールは塩水で錆びてあたりは草だらけ。
あれが津波でも流されなかった松の木か…
近くへ行ってみました。
真っ青な空にそびえ立つ松の木。
津波にも負けずに立っていた松の木に涙が溢れそうになりました。
次は津波の高さまで来たという盛土へ
10m以上の高さ…
聞いただけではピンときませんが、実際見てみるとかなりの高さです。
登って見てみると景色は町だったとはとても思えぬ殺伐として荒れ果ててました。
次はあの防災庁舎のある南三陸町へ
車で走っていると何も無い荒地に防災庁舎が目に飛び込んできました。
吸い込まれるように防災庁舎へ向かうと献花台がありました。
最後まで避難を呼びかけた彼女の声が聞こえてくるようでした。
手を合わせ辺りを見渡します。
所々に花がたむけられてありました。
生活を感じる割れた食器。
階段跡。
ガソリンスタンドの骨組み。
市場は地盤沈下で水浸し…
人も車も灯りもない町。
微力ながらの旅でしたが、沢山学ぶ事が多く、考えさせられました。
普通…
それが一番の幸せだってこと。
決して風化させてはいけないのです。
神社が高台にある事も、それには意味があります。
先人達が神社を建てたことで津波から逃れられるということ。
その先人達の教えを忘れず、この先も教え伝えていかなければならないのだと思います。
亡くなられた方への御冥福をお祈りします。